2010年1月16日土曜日

阪神淡路大震災

あの年に生まれた子が今年は高校受験ですね

あの年によちよち歩きの娘と5月の連休に大阪の海遊館に行きました

その時には新幹線も復旧していましたので行きましたが

途中はまだビニールシートで覆われた家がたくさんありました

地震の被害がないのに観光客が少ないということだったので

大阪に行きました

神戸には地震の約半年前に行った後の景色が記憶にあって

地震後の写真を見るときに・・・・

地震後しばらくしてから行きましたが

空き地の多さに驚き

以前行ったお店が無くなったのは悲しかったです

4 件のコメント:

ゆべし さんのコメント...

15年、なんですねぇ・・・。

15年前、震災の年の春に修学旅行で関西方面を旅しましたが、
震災の傷跡、あちこちに残っていました。
街の中には、いまは当時の傷跡はほとんど見て取ることはできないのでしょうけれど、
人々の心の中にはいまもはっきりと、
あのときの記憶が刻まれているのでしょう。
忘れてはならない一日、
震災に消えた多くの魂に、合掌・・・。

高校生の父 さんのコメント...

震災の前の年に神戸のポートアイランドで開かれた学会に参加しました。三宮駅近くのホテルに泊まり夕方は新神戸あたりまで散歩をしました。
1年やそこらの時間なんて地球規模で考えればほんの瞬間のことで、もしかして地震の時に出張していたかもしれません、ポートライナーに乗っているとき、町を歩いているときに・・・
考えると他人事ではありません。
震度5弱をビルの6階で経験しただけでもしばらくは余震におびえていたことを考えると、震災を経験した方にとって消えることのない記憶でしょうね。
こちらでは学校の改築や新築が盛んに行われ震災の教訓を生かして学校の校庭地下に水をためておくタンクを作っています。
学校がひと段落していますので今は県の合同庁舎を耐震補強しています。
このような公共事業に使うお金を借金しても問題ないと思います、1人の命が救われれば安いものでしょう。
いつかは来ると思われる関東大震災に備え東京からの避難者を受けるためにも栃木県の学校の耐震補強は大切なことと思います。

ゆべし さんのコメント...

栃木でも学校の耐震工事、進んでいます。
僕の職場でも、4月からの工事に向けて準備が着々と進んでいますが、
工事本体の費用はどうにかして捻出できるのですが、
付帯費用がどうにもならず、
工事期間中のプレハブ校舎なども設営ができません。
結局、数少ない実習室や合宿所、
体育館までもが教室や職員室代わりになります。
いろいろ考えると大変なことも多いです。
いずれにしても、安全のための耐震工事はしっかり進めてもらいたいですが。

ペンタ さんのコメント...

私の地域で学校の整備にお金が出るには理由があります。出どころも分かっています。
以前はそのお金で地域の体育館やミュージアム、町役場を作っていたり、地域にばらまいたりしていましたが最近は道路の整備や学校の建築などに使われています。
道路は同じ広さとは思えないほど通りやすくなりました。
仮設の教室が必要な学校には校庭にプレハブの校舎を作り体育の授業には近くのグランドや中学校に市営バスで移動したりしています。
学校を避難所としての考えで造られているのは震災の教訓と地元での大きな地震の発生によるものと思います。